RYOKO

世界ではこの数年のうちに一気に環境に対するムーブメントが盛り上がりましたが、その多くは主に西洋発で起こっています。グレタさんの演説やヨーロッパの街中でのデモの様子も記憶に新しいですよね。 自然を思いのままにコントロールしてきた文化のもとでは、「人間の行動により気候変動が抑えられる」という理屈がすんなりなじみ、心から成果を信じて行動する人が表れます。刻み込まれた自然観がそうさせるのです。 日本にも声を上げる人たちは出てきましたが、多くの日本人はまだ心の奥の奥では、「頑張っても変わるはずがない」と思っているのではないでしょうか。一部のアクティビストたちの発信はどんどん先へ進んでいくけれど、世論はどこか置いていかれているような感じがあります。 これは意識の低さでも知識の欠如でもなく、根本的な「自然観」の違いを考えれば何も不思議なことではないと私は考えています。 少し古いデータですが、2015年に開催されたWorld Wide Views on Climate and Energy 世界市民会議「気候変動とエネルギー」の報告のなかに、世界と日本の気候変動対策に対する意識調査がありました。 その結果で、世界では66%の人が気候変動対策により「生活の質が高まる」と答えているのに対し、日本はたった17%しかおらず、逆に60%もの人が「生活の質が脅かされる」と答えています。 世界とは対象的に、日本人の多くは「気候変動対策をするには生活の質を落とし我慢しなければならない」と考えているようです。この結果からも、日本人がいかに改善した未来を諦め、目先の不利益を恐れてしまっているかが見て取れます。 いま地球で起きている気候変動やそれに伴う災害が、「私たち人間がしてきたことの結果」であることは日本人もみんな理解しています。だけど、一度変わってしまった自然を復元したり変化を止めたりできるのかと言われれば、本能で「無理」と思うのが私たちの文化。遺伝子レベルで刻み込まれた、ごくごくナチュラルな自然観であると考えてもよさそうです。 誰も大きな声では言えないけれど、私たちは本音では「ひとりひとりの行動で気候変動が抑えられる」とは信じきれていないのだと思います。